国産OS「TRON」の奇跡 Vol.2「組み込みを知らない有識者たち」

今回で私のTRON検証記事は終わります。前回からずいぶん開きましたが、少々別件で忙しくてなかなか手を付けられませんでした。

引き続きご紹介ですが、TRONについての世間(ネット上)に流布している誤解や誇張は、Koichi Nakashima氏がQiitaで完膚なまでに論破してますので、私の記事は補完的な役割になります。
https://qiita.com/ko1nksm/stocks/04f1982c3903b66ce9a3

できるだけ読みやすく書きますので、御一読くださると幸いです。

さて、今回も以下のようなインプレッション目的のデマ動画達に対抗するためです。
リンクは張りませんが、タイトルの一部を載せておきます。

「Windowsに勝利!天才日本人が作った純国産OS【TRON】が世界標準規格に認定」
「Windowsに圧勝!日本製OSがとんでもないことに!」
「米国に潰された?! TRON真実の歴史」
「日本産OSが世界で一番使われているって知ってました?」

今回はその中でも「組み込みOSのTRON」についての検証というか、正解を探す方が難しい彼らのデマをただしていきたいと思います。


■組み込みOS?

通常連想される「OS」は汎用OSと呼ばれます。Windows、macOS、iOS、Android、Linux。連想されるプロダクトはこれくらいでしょうか?

それらとは別に、特定の機器の内部に最初から入っていて、決められた仕事だけをこなすためのOSがあり、それが「組み込みOS」と呼ばれます。
こちらには一般的な知名度を持たないOSが並びます。

代表的なものを挙げると、AmazonのAWSが支援するオープンソースのFreeRTOS、Linux Foundationが管理するZephyr、Wind River社の商用RTOSであるVxWorks、BlackBerry傘下で自動車分野に強いQNX、そしてLinuxカーネルを組み込み向けに転用した組み込みLinuxなどがあります。

日本発のITRON/T-Kernel系もこのカテゴリに属します。TRONプロジェクトから生まれた仕様群で、日本国内では長年広く使われてきました。

特定の機器の内部に最初から入っていて、決められた仕事だけをこなすためのOSですので「組み込み」が付きます。

炊飯器の炊飯制御、エアコンの温度調整、自動車のエンジン制御、エレベーターの動作管理——こうした機器の中には小さなコンピューター(マイコン)が入っていて、そのマイコン上で組み込みOSが動いています。

汎用OSと組み込みOSでは、求められるものが根本的に異なります。

汎用OS(Windows等)は人間が操作することを前提に作られており、ユーザーが各種アプリケーションのインストールや操作などを総合管理するために必要な、画面表示、入力処理、ファイル管理、ネットワーク接続といった多彩な機能を備えています。

組み込みOSは機械を制御することが仕事で、基本的にユーザーが直接触ることはほぼありません。炊飯器の中のOSに「アプリをインストール」する人はいないし、エレベーターのOSに「ブラウザを入れたい」という要望もありません。決められた処理を、決められたタイミングで、確実に実行すること。それが全てです。

リアルタイムOS(RTOS)

組み込みOSの中でも、特に時間的な正確さが要求されるものをリアルタイムOS(RTOS)と呼びます。

たとえば自動車のエアバッグ制御では、衝突を検知してからエアバッグが展開するまでの時間が厳密に管理されなければなりません。「普段は速いけど、たまに遅くなる」では困るのです。RTOSは「この処理は何ミリ秒以内に必ず完了する」という時間的な保証を提供します。

ただし、RTOSは「速い」という意味ではないという点には注意が必要です。処理速度自体はハードウェア(CPUの性能)に依存します。RTOSが保証するのは「速さ」ではなく「時間通りに動くこと」、つまり応答時間の予測可能性です。


■はぁ、ITRONが組み込みOS世界シェア60%ですか…

日本すげーPCのOSでは米国の陰謀となんか飛行機が落ちて潰されたけど組み込み?OSでは世界を席巻(6割)してるんだー

はいはい。私が組み込みTRON(ITRON)の存在を知ったのは例によって2ちゃんねる。前回と一緒ですね。

当時はガラケーで日本メーカーが世界をリードしている(ように見えた)ので、そのOSにITRONが採用されているとのことでしたので、そりゃまあ信じましたよ。でもその後のスマホの台頭で撃沈。

私自身、知識のアップデートも相まって、近年まだ生き残っているITRON組み込み業界制圧説には噴飯物です。

私の聞いたリアルタイムLinuxやRT-BlackBerryはどこの世界の話だったんでしょう?

ここで、嘘情報を駆逐するために、情報を整理しましょう。

組み込みOSの市場
組み込みOSの世界は、パソコンやスマートフォンのOS市場とはまったく別の世界で、組み込み機器の数は桁違いに多い。自動車1台の中にも数十個のマイコンが載っていますし、家電、産業機器、通信機器、医療機器と裾野は広大です。

ただし、この「数が多い」ということと「市場として大きい」ということは別問題で、組み込みOSの多くは、数円〜数百円のマイコンの上で動く小さなソフトウェアであり、1個あたりの経済的価値はパソコン用OSとは比較になりません。また、機器によってはOSを使わず、プログラムを直接マイコン上で動かす(ベアメタル)ケースも少なくありません。

主な組み込みOS・RTOS

ITRON/T-Kernel系 — 日本のTRONプロジェクトから生まれた仕様群。日本国内で長年広く使われてきた
FreeRTOS — Amazon(AWS)が支援するオープンソースRTOS。近年急速にシェアを拡大
Zephyr — Linux Foundationが管理するオープンソースRTOS。IoT向けに成長中
VxWorks — Wind River社の商用RTOS。航空宇宙・防衛・産業分野で実績
QNX — BlackBerry傘下の商用RTOS。自動車分野に強い
組み込みLinux — Linuxカーネルを組み込み機器向けに使用。リアルタイム性は弱いが汎用性が高い

これらが共存・競合しているのが現在の組み込みOS市場です。
シェア60%??

「TRONが組み込みOS世界シェア60%」の検証
結論から言えば、この数字は「世界シェア」ではありません。

1. 数字の出所:トロンフォーラムの自主アンケート※注釈1
「60%」の根拠は、トロンフォーラムが毎年実施している「組込みシステムにおけるリアルタイムOSの利用動向に関するアンケート調査」です。
最新の2024年度調査(2025年6月3日公開)の実態を見ると、調査場所はEdgeTech+ 2024(パシフィコ横浜)の会場と特設Webサイト、回答者数は107人(有効回答数99人)、調査対象は日本国内の展示会来場者、そして調査主体はトロンフォーラム自身、つまりTRONの推進母体です。

前年度(2023年度)は72人、2019年度は115人(有効77人)。毎年70〜110人程度の日本の組み込みエンジニアに聞いた結果です。

世界の市場調査との決定的な乖離
グローバルなRTOS・組み込みOS市場の調査報告書を調べると、TRON/ITRONの名前はほぼ登場しません。※注釈2

どのレポートでも主要プレイヤーとして挙がるのは、Wind River(VxWorks)、BlackBerry QNX、FreeRTOS(Amazon)、Green Hills Software、Zephyr(Linux Foundation)、Express Logic/ThreadX(Microsoft)、Lynx Software Technologies、SYSGOなどです。TRON/ITRONが主要プレイヤーとして挙がるレポートはゼロでした。

グローバル調査でのRTOS利用実態
AspenCore/Embedded.comの2023年調査(グローバルな組み込みエンジニア対象)では、最も人気のあるOSとしてEmbedded LinuxとFreeRTOSが筆頭に挙げられ、続いてUbuntu、Debian、Android、RTX、ThreadXと続きます。
https://www.embedded.com/embedded-survey-2023-more-ip-reuse-as-workloads-surge/

ElectroIQの「Embedded Systems Statistics」(2024年データ)によれば、2024年に組み込みシステムで最も使われたOSはEmbedded LinuxとFreeRTOSで、それぞれ開発者の44%が利用しています。ITRONの名前は出てきません。
https://electroiq.com/stats/embedded-systems-statistics/

地理的偏り
グローバルRTOS市場のおおよその地域シェアを見ると、北米が35〜40%、欧州が約30%、アジア太平洋が約23%です。RTOS市場の大半は北米と欧州であり、ITRONが主に普及している日本市場はグローバル市場の一部に過ぎません。注釈3

 

動画の主張を分解すると、「日本の自動車、家電、産業機器は世界中で使われている」という事実があり、次に「それらの中にITRONが組み込まれている」という事実があり、そこから「だからTRONは世界シェアNo.1」という結論に飛躍しています。全く論理的でもデータ主義でもなんでも無いです。

最初の2つは、特に過去に設計された製品についてはある程度事実です。トヨタのエンジン制御、日本メーカーのデジカメやエアコンの中にITRON系が入っているケースは実際にありまので。すがそれは「日本のメーカーが自社製品の中で使っている」という話であって、「世界の開発者がOSを選ぶときにTRONを選んでいる」という話ではないです。

海外のメーカーが新規に組み込みシステムを設計するとき、選択肢としてITRONが検討されることはほぼなく、FreeRTOS、Zephyr、QNX、VxWorksなどが候補に挙がり、ITRONは候補にすらならない。英語のドキュメントも乏しく、グローバルなエコシステムが存在しないからあたりまえです。

日本メーカーの新規設計でも、近年はFreeRTOSやLinuxに移行するケースが増えています。ITRONが入っているのは「過去に設計されて今も稼働している製品」が多く、新規案件で積極的にITRONを選ぶ理由は薄れてきています。

日本スゴイユーザーの方の耳には痛い話でしょうが、日本を愛しているならちゃんと現状認識をし、必要な対策や政策を提案するのが本来の愛国心なのではと思います。


私がこうした動画を感じた違和感にそもそも組み込みOSという物の理解不足と、ITRON自体の設計が飛び抜けて優秀で無かった事実を完全に見落としてます。

なんでもかんでも日本が凄い物を作っているとするのは、F-2支援戦闘機(主任務は対艦攻撃)の国産開発がアメリカとの政治的交渉で共同開発に変えられた件(炭素繊維強化複合材の一体成型主翼など日本独自技術はあったが、エンジンは当初から輸入前提の計画だった)や、PlayStation 2の性能がアメリカも驚く軍事技術だと、間違った知識を堂々と記者会見でぶち上げていた石原慎太郎(実際には民生機としてのコストパフォーマンスが突出していたのであって、軍事用途の技術とは要求される信頼性や耐環境性が根本的に異なる)と何ら変わりません

技術知識も無くうすっぺらい愛国心を自身の承認欲求に重ねて悦を得るというグロテスクな心理表現です。やめましょうね。

あと、どの動画とは言いませんが、イケメンの男がさもIT技術を詳しそうな仕草をしながら、こうした間違った知識を堂々と解説している動画など、百害あって一利無しです。乗せられないようにしましょう。

 

 

今回はこの辺で終わります。情報は正しく摂取して正しく消化することで自身の栄養になるのです。美味しいものだからと何も考えずに食べ放題に摂取していたら、それは自らの身体を痛めつけているようなものです。肝に命じましょう。


備考

注釈1
トロンフォーラム公式プレスリリース(2025年6月3日)
https://www.tron.org/ja/2025/06/post-8575/

MONOist報道(2024年4月17日)(「72人から回答が得られた」と明記)
https://monoist.itmedia.co.jp/mn/articles/2404/17/news083.html

トロンフォーラムPDF(回答者数107人、有効回答数99人と明記)
https://www.tron.org/ja/wp-content/uploads/sites/2/2025/06/5002aba052b993c6b9ea2474ff1a948f.pdf

注釈2
Grand View Research "Embedded Software Market Report, 2030"
https://www.grandviewresearch.com/industry-analysis/embedded-software-market-report

GM Insights "Embedded Software Market Size & Share, 2025-2034"
https://www.gminsights.com/industry-analysis/embedded-software-market

Precision Business Insights "RTOS Market Share & Report 2031"
https://www.precisionbusinessinsights.com/market-reports/real-time-operating-systems-rtos-market

Market Research Future "RTOS Market 2035"
https://www.marketresearchfuture.com/reports/real-time-operating-system-market-34731

注釈3
北米40%以上、欧州30%以上、アジア太平洋23%
Cognitive Market Researchの「Global Real time Operating Systems (RTOS) Market」(2024年データ)https://www.cognitivemarketresearch.com/real-time-operating-systems-rtos-market-report

北米35%という数字
GM Insightsの「Embedded Software Market Size & Share, 2025-2034」(2024年データ)
https://www.gminsights.com/industry-analysis/embedded-software-market

Research Nesterの「Real-time Operating System Market Size」でも言及
https://www.researchnester.com/reports/real-time-operating-system-market/5696